太陽の帝国はとても何なのか?

 読まずに書くとあれだから、そこから派生したことについて書こう。
 私の言語観は先の大日本帝国三.〇のエントリを見ていただくとある部分については不必要に理解が深まると思うが、一言でいえば

日本語圏の文化の増大のために日本語人口を増やせば?

ということだ。従って国語の授業数を増やすとかそういうことには賛成しない。そもそも現在の国語教育は、個人的には読み書き以上の部分では間違っていると思う。過度に作者の意図を読み込ませようとしており、それはいわゆる空気を読むという別の意味で日本では重要な訓練にはなるが、文学的素養を育てるよい手法ではないだろうし、総合的な教育的見地からして有益とも思えない。そもそも論になるが、日本文学は日本文化の一部であって、代表ではない。日本という地理がもたらす生活環境と、そこにあった歴史と、そこに生きるヒトと、そのヒトが使う言語と、後なんやらが文化であるということは特に繰り返さなくてもよかったとは思うが折角だから書いておく。
 分裂の人も言っているが、経済的観点からすれば金融や経営や法律や理学や工学を教えた方がいい。大体、高精度な機械翻訳が英和でも実現しようかというこのご時勢に、その言明の合理性はどうなんだろうか。
 まあいい。私がただいま思ったことは、
 ・日本にヒトが住んでいる限り100年程度のスケールでは日本語は滅びない
 ・日本語が滅びても日本での生活がある限り日本文化は滅びない
 ・日本語が滅びても日本文学は滅びない
 ・日本文学が滅びても日本での文芸は滅びない
 ・日本文学が滅びたら何か困るんですか?
 ということで、何が申し上げたいかというと、

超弦の振動に至るあらゆる通信が文学であり得る

という受容者の精神の準備が重要なのであって、後はどうでもいいということです。

 でも今の日本文学が吹き溜まりなのは事実だろう。だってこんなにも通信が溢れているのに、それを用いようとしねえんだもん。よく知らないけど文学って差異から生まれるんだろ? 異常なるものが山盛り存在するこの時代をなぜ祝福しないの? プログラムによる文学とか、生物による文学とか、環境による文学とかを何で投射しないの? 馬鹿なの? 死ぬの? 何か文字で書いてればいいと思ってるの? がたがた言う前にもっとすべき事があるでしょ?
 まあ、ファ文的に考えると、それらは設計の内で、

私は全ての文による表現を歓迎するものである!!

とか著者が一人哂っているのかもしれないし、また単に宣伝あざーすとか思っているだけかもしれない。本日は引用してないのに無駄に引用多めでお送りしました。付言すると私は文化プールの拡大のために個々人の生命をそれなりに削ることを是とする方であり、経済力を背景とした合意の上での文化帝国主義上等という考えです。