帝国は何処に

 essa先生のお話である。書いてあることはわかる。書かんとしたところも大体わかる。賛成はしない。
 国民国家が滅びたら何が法を成立させるのか。その答えが得られないうちは我々は自らの利益のために国家を保守せねばならないはずだ。従って国民国家にともなう諸般のこまごました不便は、多くの国民にとってこれを耐える合理性があるはずだ。その一つがreponさんなどが書いている国語教育である。まあ、将来においては技術的な環境の変化からその有用性が薄れていくことは充分想定できるが。
 原理的には国民国家なしに法の実効性を確立することはできる。詳細な個々人ごとの社会契約によっても可能なはずだし、あるいは帝国によって保障されるとしてもよい。だが、日本が加わるべき帝国がどこにあるのか。構想されてからこのかた仮構のものでしかなかった社会契約を実装するシステムがどこにあるのか。アメリカは帝国と呼ばれようと、実質的な内政干渉をもりもりしていようと、国外で合衆国法を通用させるような統合を望んではいない。連邦政府の手間が増えるだけだし。別の国であることにアメリカとしての利益があるのだから。世界政府は未だ存在しない。武力と警察力をもそなえた自由な加入と脱退を許す社会契約のネットワークなどというものは、空想の域を出ない。今のところは。であるならば、世界の国民国家が滅び得る環境が整うまでは日本というnation-stateを滅ぼしてはならないのだ。日本国から利益と不利益を受ける構成員としては。