ヒトの人間的利用

 社会を一般化して表現するとグラフになる。ノードとエッジだけ考えればよい。人間と、人間関係。諸般の物理的操作含む。日本国という範囲の社会においてノード数の減少は直ちに問題となるわけではないはずだ。所望の目的が何かにもよるが。ノードを入れ替えたりエッジをつなぎ変えたり重みを変えたりすることで望ましい状態を実現したり不可能だったりすることが分かるか証明不能かもしくは未知だったりするだろう。
 一見ノードをもっと複雑な振る舞いをするように定義しなおす必要があるように見えるがそれはエッジに吸収できる。
 ここで私は人間以外のものもノードとして捉えるべきであると申し上げたい。これによって従来のノードの特性を改変せずに社会の振る舞いを改変する方法論が構築できることは自明であるという有益性を主張するものである。即ち、組織は構成員の総和ではないのだから、人間を愚かなままに置きながら人類社会の振る舞いを賢明にすることも可。今日の設計者とテクニシャンが目指すべきは人類全てを賢くすることではない。
 エッジを拡張するならそれは複合現実の手法をとるであろうし、ノードを改変するならそれは洗脳もしくはトランスヒューマンを準備するものである。実際の改変はこれらの複合であろうが、その両者を拒否したものに対応する形式としてヒューマノイドを含む環境制御がある。理解しないままに社会へのインターフェイスを用意することもある程度までできると考えられる。各ノードの利益を可能な限り損なわないよう社会の機能を維持したまま、構造を変えることができる。ただし隠蔽による不当な利益はこれを保証しない。
 とりあえずそれと同時に税体系と財政と立法システムにソフトウェア工学を参照したレビュー等の手法を取り入れる必要がある。勿論構成員の多数が希望する政策が長期的に最適とは限らないから、まあ最初は控えめに。ともかく軍事と外交と公安案件以外は基本全公開で。こうすれば日本も防衛関連が公共事業化して軍事大国になれる。私を含む軍オタ大喜びとなろう。なおかつ自衛隊の中の人がそうじゃないだろ経済で戦えよ足りない分は血中の鉄分で補えばいいじゃないと仰せられよう。
 なお暴力革命は制御性を欠き、かつ結果の自由度に乏しいため常に最適でない。また現行の代議制は出力の安定性のためとはいえ構成員の入力機会が少なすぎるので洗練された代議制とはいえない。将来の制度はより高度な不安定性の制御を公益の高速な増進という観点から実現するべき。負の安定性にまで踏み込むかどうかは自分で決めさせればええねん。