貴様の人生の事実

 次はessa氏の所に横合いから口を出すんだぜ。学歴論だぜ。まああるスケールが何がしかの事象を記述するのに適切かどうかはさらにどういう価値で評価するかという別のスケールの議論に縮退していくので不毛だといえばそれまでである。個人的見解としては、任意の目的に対して万能な学校は自分のあずかり知らぬ所だし、多分なさそうだけど、いくつかの目的に対してよい環境の学校はあると思うよ、ということだ。また金が平均よりは結構多く稼げる会社もあると思うよ、とまず書いておこう。
 各個の論点として見ていくと、どれくらい会社の賃金は下がるのか、というのは重要だ。私も気になる。これは換言すると、どれくらい早期にグローバルな労働市場ができるのか、ということだ。essaさんとかは仮想水みたいに、実質的な労働力の輸入がネット等を利用して大量に起こるよ、従って賃金が世界平均まで下がっていくよ、という論調であろう。方向性としては同意するが、私は今学生である人がまあ40歳くらいになる、2030年くらいまでにそれが構築されるか、という問いに微妙じゃね、と答えよう。medtoolzさんもいっているが、医療における診断という過程はこの情報社会において輸入可能だ。そのように、例えば法的サービス、教育、金融、情報、コンテンツなど、さまざまなサービスの労働力は輸入できる。アニメーターとかは既にそうなってる。で、微妙なのは所謂ローカリゼーションの問題だ。これらの知識にはネットワーク外部性が働くはずである。つまり英語圏のそれらのサービスを志向する労働力のほうが日本語よりはるかに多いはずだ、ということだ。人口比でみても、なお、主要な産業では日本が魅力的な市場かどうかは分からない。2030年より前には高速な自然言語翻訳も可能になっていると思うが、それにしても文化的な適合性を乗り越えてくる労働力がどれだけいるか、これはもはや政策の問題だ。何かというと日本の標準をそれらの労働力に適合させればよい、という決断も可能であるということだ。おそらく産業の発展にはそういった政策が望ましかろう。しかし、先の移民1000万人政策じゃあないが、これが選挙で勝てる政策だろうか?
 どう見てもそうではない。つまり、我々はほとんどまだ気付いていないが、このようなあまりにも重い選択を迫られているってこった。
 さて、世界基準で適当な労働力以上の市場価値を具備し得る若人が何割いるだろうか。まず5割は居ない。2割もいるかどうか、という所であろう。従って事は最早若年層に市場価値を備えさせるべし、という問題ではない。価値を見出した奴はそれで食っていけばいい。平均的な奴をどう扱う社会が望ましいのか、とする設問がよいのだろう。で、何かというとそれでいいだろ、というのが私の意見である。食えればよい。先進国における社会が個人にもたらす効用は激増していると考える。従って社会で成功できず難しいことになっても、死ね、と社会は言わないと思う。いや、今後の展開によっては、はい、公衆自殺機械、とか言い出すかも知れないけど。食っていけるならば、後はどれだけ自らが認める価値のための時間を捻出する生き方は何か、ってことだ。おそらく労働条件は一層安くなって、というか限界まで安くなりそうなので、どうしよう。働けなくなったら死ねと?
 うーむ。未来は単純に明るくない。考えてみよう。
 食っていく選択その一:非関税障壁を山盛りにする政策を採用する。代償として日本経済の発展性が残念なことになる。
 その二:利権に喰らい付く。代償として産業構造が非効率的になるし、国民の誰しもを食べさせてくれるわけじゃない。
 その三:流行の基礎所得制度採用。財源が最大の問題。
 その四:ハンサムな貴様は突如収入を得るアイデアがひらめく。
 その五:フリーランチはない。現実は非情である。
 うーん、まあ、それで、2030年の産業構造はどうなってるのかしら、というのはとても難しい問いだが、SF者としては一部のサービス業において人間を上回る機械、つまりサービス業の自動化がますます実現し、さらにスパコンによる強い機械知能が実装されて単純労働者の非自発的失業がアホみたいに増える、という予想を出しておこう。経済学の教科書には大抵非自発的失業の発生はすごい損失だよ、と書かれているはずだが、このような大量失業に対処すべく新しい経済学、新しい政策が必要とされるはずだ。
 思えば自動車化によって幾つかの産業の壊滅と道路や輸送機械石油化学という新たな雇用の創出が行われたり、OAとFAによって多少の失業も生まれたりしたが、果たしていかなる途上国の労働力よりも安いシステムが構築されたとしたら、労働人口の少なくとも半数はどうしたらいいのだろうか。2030年か40年かは分からないが、そのような人体に匹敵する精度と自由度を持ち、人間より長時間稼動できるシステムは実装されると考える。またその制御は2030年の計算能力をもってすれば、かなりの労働力を代替できるだろう。また、あのMechanical Turkのように人間の処理が必要な部分は適時ネットから供給できる。従ってその時点において、人間が持つ筋肉とそれを制御する神経の労働市場における価値は大きく減少することになろう。これらの前提を置くとして、そこでさらに雇用の創出が起こるのだろうか?
 我々は何かヒトにしかない労働市場における有用性を示せるのだろうか。筋肉と骨と腱という柔軟な作用体が機械によって代替されたとしたら、我々の食っていく方法とは何か。それは長くなったしまた明日か明後日くらいに書いてみたい。まあ肯定的に考えると誰しもが安価な労働力を利用することができるようになるんだから、後は生産設備を用意できれば誰しもが小さな資本家になれるってことか。最初の何百万円かの元手があれば。そして大資本に性懲りもなく吸収される。
 とかいってると既に学歴論じゃあねえなこれは。それにこんなことになったらどうしろと。まあご飯を食べる手段を確保しておけ、ということで。梅田先生じゃねえか。後、学歴は潰しが効くやつと効かないやつで意外と差があって、傍目から見るとよく分からないことが結構あるから注意しろってことか。物理と数学をちゃんとやるとこがおすすめ。機械とか電気とか電子とか材料とかな。数学科は…まあ、適当に。情報?
 よく知らん。法経は…今日日どうなのかしら。弁護士ねえ。あんまり個人的興味が湧かないけど、最後まで儲かりはするんじゃないの。変わるにしても一番最後の方っぽいし。弁護士増えても多分稼ぐ道はある。ちょっと真っ白な道じゃなさそうだけど。官僚?
 bewaadさんとか続・航海日誌の人とかを読んでなお官僚になりたいと?
 うむ、貴様は訓練された人材だ。帝国の礎となれ。
 医者もmedtoolzさん見てるとどう見ても楽じゃないしリターンが出るまで長いから、うんざりな感じだが狙ってもまあいいんじゃないかな。そこらへんなら学校に行くという選択をしてもまずまず生存という観点から見て合理的だと思う。2chとかだといわゆる理系=経営者にこき使われる、という図式が事実とされている向きもあるが、これはやや誇張がある所だろう。ある技能に対する需要と供給がどうなりそうか、っていうのはやっぱり難しいところだけど。でもいわゆる文系より技能の分野が細分化されてるから、一分野の中で競争する頭数は少ないよね。問題はその分野全体の需要がどうなるかってことで。…そうするといわゆる文系の技能の方が汎用性が高いってこと?
 いや、頭数が多い方が競争が激烈になるから一概に有望とはいえんか。やはり簡単でない選択だ。
 どうも私の発想が古いのかありきたりな感じのことしか書いてないな。まあ、何が市場において希少か、何が変化に対する反応が遅いか見定めて手持ちの資源を投資しろってこったな。遅いっていってもあと40年も変わらないものってあんまりないと思うけど。まずは今後10年くらい何で食ってくか考えれば。あんまり短期で考えるとうんざりしてくるし、利回りも無理することになる。起業とかいうなら時間こそ最も貴重だとは思うが、誰しも起業で食えるわけでもないしね。10年あれば何千万かは稼げるじゃん。知らんけど。それで10年後にいきなり今晩は、シンギュラリティです、とか来たらそれまでというかそれからが人類の本番というべきなので、あまり考えなくてもよい。多分その技能でもう5年か10年食えるよ。そう信じろ。駄目でも潰しが効くって。それに、何千万-生活費が0以上なら、それで何年かは何とかできよう。円が駄目駄目になってなければな。兵藤先生ばりにリスクの分散は怠らないっ………とか呟いておればいい。…日本って年間何万円で生きていけるんだろ。よく知らんな…。
 えー、解釈の固定は病に繋がる、というのはまあいいけど、社会の実態は変わらないんじゃない、という所を踏まえておくとよいと思います。望ましい物語を求めて苦闘するよりは不適切な社会機能を調整する方が実効的でしょう。はい。雑想の末端部はしばしば詩的になりがちですが、事実を別の事実と照合して検証できないというのは訓練不足だと思います。勿論よく訓練された人員は少なく、それ故に貴重ですから我々多くの読者が語りになってしまうのは止むを得ないことでしょうが、日本はどっちかというと工業化の完成段階において伝統的な物語が採用されなかった例であろう、ということは既に色々と語られているのでどうでもいい。そしてむしろ日本は新しい認知モデルを求めている、などという国民国家を擬人化した言説も随分言われているのでどうでもいい。組織は構成員の総和じゃねえんだ。昔のNHKの番組は正しく国民の統合という大役を担っていたのに近年はこの体たらくなのでどうでもいい。そろそろくどくなってきた。どうでもいいしお分かりかと思うがここらへん散文詩なんで。
 絶望の検知?
 まず言えることは絶望して死ね。しかる後に絶望先生を読み絶望して死ね。ということか。こないだ弁当の中の人が色々心配してコメント欄をどうこうとか言っていたが、そうか、としか言えぬ。さらにいえば何によって人が自殺するかはほぼ予測不能だ。杞憂か方便だと思う。死ねっていわれて死ぬ奴がいたら呪い判定に成功したと思え。現行法では多分軽犯罪以上にはならぬ。現行法とは薫習が身口意に現れたもので、ということは不殺生戒を間接的に犯したので、その種子が自らの、というか真如に自らも自らでないもないが、真如に留まることになるので、それを厭ったものか。いや違うか、自らの真如もあり得るしあり得ないしあり得ると同時にあり得ないしどちらでもないのか。ということは…これ以上言うと不品行になりそうなので控えさせていただく。