木村先生へ

 survival of the luckiest、と一言で終わりにしても良い。
 システムの稼ぎ出す金額が減っているというのは統計的にあまり正しくあるまい。プレーヤーが増えていると言うべきである。従ってこの物語の題名は生存競争としてもよかろう。局地的には仲良く分け前を分配する構造もあるだろう。どうやってか搾取する構造もあるだろう。ここで私が重要視するのは、資源の有限性と、それに伴う獲得競争だ。そこに搾取する側がいる、というべきなのだろうか。まあ居るといってもよい。だが、長期的に見れば我々はみな死んでおり、人生に勝者などいない。と答えることもできる。我々にできることは可能な限り試合を引き延ばすことだけだ、と。つまりは資源が有限なので搾取者が居なくても競争は起こる。しからば、私は人命に人一人のなし得ること以上の価値を認めるものではないが、競争に敗れたものを生かすに足る価値とはなんであろうか。そのようなものを社会は認めないのであろうか。状態が切迫した場合に社会はこれを認めないであろうが、社会の安定性のためにも中期的な範囲で、先進国の社会はこれを認め、何らかの政策を提出するであろう。一体、平均的な人間の有用性とは何だろうか。きっとそれは、かなり残念な、場合によっては屈辱的なことかも知れないが、人一人分の資源を消費するってことだと思う。もう一つには、人は価値をきっかり一人前だけ見出すってことだと思う。どこが役に立つのか、と思うだろうが、一部の組織には充分な有用性だ。きっと基礎所得とかその類似のものが採用されたとき、大企業はシェアを食うためにアホみたいな低価格を提示してクーポンみたいなものを導入しろと各級政府に迫るだろう。勿論自社製品やサービスにロックインするためだ。ほーらわが社は全世界の人口を充足するだけコーラを用意しますよ、いやコーラ以外の飲料もありますよ、とか、ねえねえあっちの地所に低価格住宅を無償で高密度に建てるからそっちの再開発を担当さして、とか、わが社は全人類に無料で携帯端末をばら撒きますがうちの検索エンジンがデフォルトというかむしろ変更不可でもいいよね、とか、その代わり税金を割り引きやがれ、とか。そういうろくでもない未来がやってきそうな気がする。コーラにネットワーク外部性はあるのか?
 微妙だな。甘味料の水溶液だし。ユーザーの増加による利点が不明瞭。乗り換えコストも安いし。するとユーザーに金を払って、もしくはその他の利益をもたらしてただで使わせる何かが強いということか。ネトゲとか。今のところblogとかでは多数の人間がまともに食っていけんが。
 企業の存続は有用性を示し続けられるかどうかによる。そして、分からないまま終わるのは嫌なのに人は死んだりするし企業は倒産したり吸収合併されたりする。救いはない。No Mercyだ。攻撃すると破壊される。あとessaさんはまあ上品な方のようだから、後半部分のジャブが効いてないのも致し方ない所だと思う。それでまあ、ここで価値創造を強調すべきだろうかってことだが、微妙。価値の再生産で食ってる人間の方が多いと思う。生存競争という観点から見ると、一番いいニッチを失っても、次善のニッチがある、と言うのが建設的か。最後の押し出されるニッチに居た奴はどうなるのか暗い気持ちになるが。そのためにも先進国は最貧国の底上げをすべきだ、と関連付けてみる。未来は不確定だ。それはいい。しからば若人とその育成者は学歴に頼るべきでないのか?
 前述したように場合によってはそれをたのんでよい。最初はな。さて、SNSやblogを人事の人が使うか、というと、一部業界では使うかもね、くらいにしておこう。blogで毎日物理をやる人は多くないしね。人物評価にスケールを複数使うのはいいけど、謎基準を使われると困るよね、とも言っておきたい。それだといかようにも答えを捻じ曲げ得るじゃん。人事って一応企業の最優秀の人材が投入される所だろ?
 その人達は学生達が毎日一生懸命綺麗事を綴ったblogをどう評価するんだろ。自分がblogとか書かない世代だったらどうするのか。めんどくさいこと極まりないんじゃねえかな。だいたい、私だったらそんな業界に身を投じないし、この減点主義の日本では先行きも怪しいと思う。あんまり賢明な採用方法とは思えない。学歴を代替できるのかなあ。
 消毒係の人の罵倒はなかなか小気味よい。
 はっ。砂糖と炭酸とカフェインとコカとコラって思いっきり麻薬じゃね?
 習慣性がなくね?
 流石かつてはコカの香料以外の成分を含有していた飲料だぜ。売人ほど素敵な商売はないな。アリウス派をあれしたあの人も赤くするし。でも忘れがちだが昔の売薬って色々あったよね。今頃こんなこといっても何だが。